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桝 重信 (シニア会元会長) | |||
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しかし、この頃日本には韓国を紹介する何物も無く、又それ以前の李承晩時代の反日感情も強かった事から、私自身現地の事情に不安を感じながら赴任しましたが、赴任して初めてその伝統ある建築物や陶磁器などの文化に接触し,日本に知らされていないこの良さを紹介すればきっと観光客が増やせると信じ、まず韓国政府観光局に日本に対し日本からの観光客誘致のためには韓国紹介パンフレットやポスター、及び文化的イベント等の情報提供が必要と説明、同時に韓国の伝統的生活を一目で判るような場所を創造する事も提案、そのためハワイのポリネジアン文化センターを参考するため視察することを勧めました。これが後に韓国民族村の実現に繋がったものと私は信じています。 |
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一方、私が東京に一時帰国した際、たまたまJAL日本地区で旅行会社の方々が会議を行っている機会を利用して、「韓国の良さと見所」を披露し、旅行業界による視察旅行実施を提案しました。これを受けて帰任後間もなくツアー企画担当の方々約30名が視察のため來韓、私が同伴してソウルを中心とした観光バスによる現地視察を行い、旅行終了時、現地旅行社にツアー実施に当たっての韓国サイドで改善すべき受入問題点を指摘、改善を求めました。この時視察旅行の地上手配を引き受けてくれたのがグローバル旅行社の王会長。この人は元ノースウエスト・ソウル支店販売担当で、私の昔馴染みの人であったため、この視察旅行手配に関し色々と協力を得る事が出来ました。この視察団の来韓が観光旅行の引き金となり、3年後任期を終え帰国する頃は「もうパンクしそうで送客しないで欲しい」と嬉しい悲鳴をあげるほどになり、機種も当初のCV880からジャンボ機に変更、又多数のチャーター便も受け入れるようになりました。 |
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私はその後何回かデパートを訪問し、先生と親しく会話を交わせるようになり、この先生の初期の時代からの作品を購入し、現在我が家の飾り棚や押入の中に十数点保存しています。この海剛先生は後に韓国政府も認め人間国宝と認定され、日本人の間にも広く知られるようになりました。この私の趣味から、帰国後の86年に私はJALから一時系列の旅行代社に出向しましたが、その時「韓国陶磁器の旅」を企画しました。その結果25人ほどの男女ツアー客を集客、同行して慶州、木浦、ソウルなどの博物館を訪ねましたが、この時利川にある窯に海剛先生を訪ねましたが、残念ながらお昼寝の最中という事でお会いする機会を逸しました。 又駐在当時、梨花女子大の学長さんとの面識もあった事から、事前に同大学の博物館にある陶磁器を見学する許可を戴き、当日団体が観光バスで乗りつけたところ、この日は大学祭開催の際中に関わらず玄関までバス乗り入れを許可され、ゆっくりと博物館を拝見し、団体客から博物館見学と大学祭を通して女子大生と交流出来たことで大変喜ばれました。 |
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『マツタケツアー開発失敗』 |
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『マスコミを味方に』 |
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このようにマスコミとの関係を保つためには、一般販売にも通じる日々の付合いが大事で、若しこちらから取材協力を求めるためにツアーに招待する時なには決してマスコミにその対価を求めてはなりません。その理由はその対価を求めることを前面に出す事は彼らのプライドを傷つける結果となるからです。
『中国ゴルフツアー開発のきっかけとマスコミの力』 |
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珠海と中山温泉ゴルフ場で各1回プレイする2泊3日、16万2千円のツアーを販売して12人を集客、大阪空港から出発しましたが、空港出発時に「日本発初めての人民中国本土へのゴルフツー」ということでNHKが取材、全国ネットで放映され、これを知った週間文春が、国際電話を通して珠海に到着時取材され、3月13日号に4ページにわたって記事が紹介されました。このTV放映と週刊誌の記事のお陰で、その後地方からツアー参加の申し込みやグループの手配依頼を受けました。 私はこのツアーは自社のヒット商品として当分続ける予定でしたが、ある大手旅行社がより安価な商品を企画、雨季を考慮に入れずにツアーを催行したため、参加者が現地で大雨に遭ってゴルフを中止せざるを得なくなり、この事で旅行者の間で不評を買い、その影響を受けわが社のツアーも中止せざるを得なくなりました。 もともと私のプランでは雨季の中山県でのツアーを避け、この季節には他所で催行する予定でしたが、現地事情を考えずにツアーを催行した旅行社の行動が、わが社にダメッジを与えました。 この事からツアーを企画するときは天候や現地事情を十分に調査検討する必要があると考えます。 |
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